
2020年3月、宮城学院女子大学学芸学部音楽科声楽専攻を卒業。
2018年度学内ソロ・アンサンブル発表会出演。
宮城学院女子大学開学70周年MG音楽祭出演。
2019年度音楽科コンサートにてオーケストラと共演。
第19回秋田県青少年音楽コンクール声楽部門高校生の部金賞。
同コンクール第23回大学生・一般の部金賞、最優秀賞、グランプリ受賞。
これまでに声楽を長谷川留美子、井坂惠の各氏に師事。
私について
中学校の音楽教師をしていた両親のもとに生まれ、幼い頃から音楽に囲まれ生きてきました。・・・にもかかわらず、連れていかれたピアノ教室では泣き叫びながら大暴れ。父のピアノレッスンは大嫌いでまともに続けることもなくフェードアウト。(その後大学受験のために再びピアノを習うことになりますが、ちゃんとやっておけばよかった・・・と大後悔しています笑)
中学校のときに音楽の授業で鑑賞したミュージカル「CATS」に衝撃を受けました。たしかラムタムタガーの場面だったと思います。一瞬でミュージカルにドはまり。オタク気質も相まってみるみるうちにミュージカルの世界に沼っていきました。もともと歌うことが好きでしたが、毎晩お風呂で熱唱し親に怒られるほど、ミュージカルスターになりきって遊んでいました。
かと思いきや、今度は中学校の音楽の授業で鑑賞したオペラ「アイーダ」に衝撃を受けることになります。たしか凱旋行進曲の場面だったと思います。一瞬でオペラにドはまり。ミュージカルブームは去っていきました。(とは言え、「舞台」というものがそもそも好きだったのかもしれませんね。今思えば・・・)自宅で母の私物の声楽のCDを勝手に漁り始めるようになります。オペラアリア名曲集に入っていたミレッラ・フレーニの「ある晴れた日に」を初めて聴いた瞬間、人生が変わった心地がしました。いつか必ずこれを歌いたいと思いました。
高校に入り、声楽を習いたいと母に相談しました。母も声楽を学んでいたので、母の先生の下でレッスンを始めました。レッスンを通して、自分の声が変わっていく喜び、難易度の高い曲に挑戦できる面白さを知り、ますます歌の世界にのめりこんでいきました。大学で歌を学びたい、歌手になりたいと自然に思い始めるようになりました。ピアノもろくに弾けない、ソルフェージュも全然できない状態から受験対策を始めましたが(今思えばよく間に合ったなと思います汗)、なんとか大学に合格することができました。
やる気満々で大学生活をスタートするも、周りの子のレベルの高さを目の当たりにして早々に心が折れてしまいます。歌手になりたくて入学したはずなのに・・・練習のモチベーションを保てないまま2年間が過ぎ、3年目。友人と話をする中で、彼女たちの眩しさ、ひたむきさに刺激を受ける機会が増えました。私もきっかけをつかみたい!と挑戦した学内オーディションでいきなり評価され、急に持ち上げられるようになってしまいます。周りからの評価が驚くほど変わり、心が追い付きませんでしたが、毎日が楽しい!日々が輝き始めました。3年生にしてステージに立つ喜びを初めて知ることになりました。
そこからは、脇目もふらず歌に捧げる生活を送り始めました。何事も順風満帆に思えていましたが、大学卒業を目前にしたある日、事件が!!なんと、ついに体調を崩してしまったのです。心と体にムチを打ちながら走り続けた結果、歌が歌えなくなってしまいました。(毎月のように本番があり、新曲を披露するような生活・・・そりゃ体こわしますよね笑)どうやらちょっぴり頑張りすぎてしまったようです。結果、音楽を聴くのすら怖くなってしまい、卒業のタイミングで一度音楽を辞めることになりました。
休養しながら、自分の人生について考えました。何がしたいのか、どうやって生きていきたいのか・・・やはり音楽に携わっていたいという気持ちを捨てきれず、楽器店で販売員として働き始めました。
その後4年ほど社会で働く経験を積みましたが、やっぱり歌を歌いたいと心が叫び始めるようになります。家族や大学の友人にも背中を押してもらい、ブランクを経て、こうして今音楽の世界へ戻ってきました。学生の頃は周りの評価を気にしたり、完璧であることに執着してがんじがらめになっていました。「こんな表現したらなにか言われるんじゃないか?」「音を外すことをおそれすぎて体に力が入ってしまう・・・」ブランクを経て、他人の目を気にしなくていいと思えるようになり、すごくのびのびと演奏ができるようになりました。
恥ずかしがってできなかったような大胆な表現ができるようになったり、リラックスして歌うことで響きがのびやかになったり・・・今のほうが音楽を楽しめています!